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東京地方裁判所 平成8年(ワ)4846号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告株式会社Aに対し、金七七二九万円及びこれに対する平成八年三月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告乙山次郎に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成八年八月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

(原告株式会社Aの請求)

1 原告株式会社A(以下「原告会社」という。)は、左記の船舶(以下「本件船舶」という。)の所有者である。

(一) 船舶の名称「童号」

(二) 全長 16.07メートル

(三) 全幅 4.37メートル

(四) 全高(深さ) 2.32メートル

(五) 重量(総トン数)一九トン

(六) 建造年月日 昭和六三年七月(進水昭和六三年六月)

2 原告会社は、平成七年四月二四日、被告との間で以下の内容のヨット・モーターボート保険契約を締結した(以下「本件保険契約」という。)。

(一) 保険の目的 原告会社の本件船舶が沈没、転覆、座礁、座洲、衝突、火災、盗難その他偶然な事故によって保険証券記載の船舶に生じた損害(全損、修繕費、共同海損分担額、衝突損害賠償金、損害防止費用その他の損失、費用及び賠償金を指す。)をてん補する責任を、保険証券等に記載の規定に従い負担する。

(二) 証券番号 四六二八三〇二四〇三

(三) 保険期間 平成七年五月二日から同八年五月二日午後四時まで一年間

(四) 担保地域 北海道、本州、四国、九州、奄美の各本島及び沖縄諸島の陸岸から二〇〇キロメートル以内の水域及び内陸

(五) 保険価額 船体 七〇〇〇万円

(六) 被保険者 原告会社

3 本件船舶は、平成七年七月一四日午前八時三〇分ころ、徳島県海部郡海部町沖で右舷エンジンより出火し(以下「本件火災」という。)、午前一一時四〇分ころ右同所で沈没した(以下「本件事故」という。)。本件事故は、偶然の事故にあたる。

4 右沈没当時、本件船舶の簿価は、金九二四三万円であり、原告会社は少なくとも右金額相当の損害を被った。

5 被告は、本件事故に関し、株式会社損害保険サービス、株式会社海洋総合研究所及びアクアワールド等に依頼して本件事故原因の調査を行い、原告会社は、被告と再三協議をし、本件事故の原因に関する一切の情報を開示する等事故原因の究明に協力を行ったが、被告は、免責事由もないのに言を左右にして保険金を支払わない。

6 原告会社は、本件保険金請求権を実現するため、やむを得ず本件訴訟を提起することとし、原告訴訟代理人らに本件訴訟の追行を委任した。

7 本件訴訟に関する弁護士費用は、東京弁護士会弁護士報酬規定によれば、着手金及び報酬標準額の合計金七二九万円が相当であり、原告会社は右金員の支払を余儀なくされた。

8 よって、原告会社は被告に対し、本件保険契約に基づく保険金として金七〇〇〇万円、不法行為に基づく損害賠償として金七二九万円及び右合計金七七二九万円に対する訴状送達の日の翌日である平成八年三月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(原告乙山の請求)

1 原告乙山次郎(以下「原告乙山」という。)は、平成七年七月一四日当時本件船舶の船長をしていた。

被告は、被告訴訟代理人を介し、当庁平成八年(ワ)第四八四六号保険金等請求事件において、同年八月二六日、原告会社に対し左記記載のある準備書面を提出し、公開された法廷における口頭弁論期日において陳述した(以下「本件陳述」という。)。

「いずれにしても、火を放った者が、何人であるにしても、前記のような人為的な工作については、船長が積極的にか消極的にかは別として故意に関与していたと判断せざるを得ない」

2 右準備書面により、原告乙山は、被告から放火犯人と名指しされた。

原告乙山は、船長という職務上の義務を負うとともに、一般常識人として、船の航行上の安全を第一に考えて行動していたものである。

被告の右陳述は原告乙山の人格を無視し、踏みにじるものであり、著しく適切さを欠くものである。

3 原告乙山は、右行為により精神的苦痛を受けたが、右苦痛を慰謝する慰謝料としては金一〇〇〇万円が相当である。

4 よって、原告乙山は被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、金一〇〇〇万円及び不法行為の日である平成八年八月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(原告株式会社Aの請求に対し)

1 請求原因1及び2の事実は認める。

2 同3の事実については、本件火災及び事故が発生したことは認めるが、これが偶然な事故であることは否認する。

3 同4の事実は不知。

4 請求原因5の事実のうち、原告会社と被告間で面談したこと及び情報の開示があったことは認め、その開示情報が一切の情報であったことは否認する。同6の事実のうち、原告会社が訴訟代理人に委任したことは認め、その余は不知。同7の事実は不知ないし争う。

(原告乙山の請求に対し)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2及び3の事実は争う。

原告乙山は、既に平成八年一月の時点において、原告会社の甲野会長や同社社員等から放火の疑いをかけられている(乙第二八号証)。したがって、被告の主張によりことさら原告乙山の社会的評価が低下したことはなく、仮に低下したとしても違法性の程度は重大ではない。

三  抗弁

1  故意による事故招致免責(原告会社の請求原因に対し)

(一) 本件保険契約約款には、保険契約者等の業務に従事中の使用人の故意により生じた損害について保険金を支払わない旨の記載がある(ヨット・モーターボート総合保険普通保険約款第二条(1)(ニ))。

(二) 本件火災は、船長である原告乙山が故意に関与したものである。

(1) 本件火災の出火原因は、本件船舶の構造及び原告らの調査協力により判明した本件火災の経過に照らし、出火場所は機関室内右舷主機関前方付近であり、発火源となりうるのは右舷主機関の排気管系統に限定され、燃焼物は燃料の軽油であるが、非人為的に右のような火災が発生することは科学的にあり得ない。

(2) 原告乙山及び荒井秀樹(以下「荒井」という。)等、本件船舶の乗員の各供述によれば、火災発生現場である機関室に入ったのは、原告乙山だけである。

本件火災発生に際し、単独で放火が可能であったのは原告乙山だけであり、第三者が放火した場合、原告乙山の協力なしには放火は不可能である。

また、火災の状況につき、原告乙山には、出火場所、煙の状況、炎の大きさ等について不自然な供述の変遷がある。

(三) 原告乙山は、本件船舶所有者である原告会社の支配の下に反復継続して本件船舶の運航という原告会社の業務に従事していたから、原告乙山は、保険契約者である原告会社の業務に従事中の使用人にあたる。

2  真実性の証明(原告乙山の請求原因に対し)

(一) 本件火災原因は、海難審判理事所において問題にされ、未だ海難審判が開かれていないこと、放火は犯罪行為に該当することから、本件陳述の事実は公共の利害に関する事実である。

(二) 保険制度において、いわゆるモラルリスク事案を含む不当な保険金請求に対して応じないことは、社会正義及び社会全体の利益にも合致する。被告の本件陳述は、公益を図る目的をも有する。

(三) 本件陳述の事実は真実である。

3  真実と信じたことの相当性(原告乙山の請求原因に対し)

(一) 仮に本件陳述の事実が真実でないとしても、被告は、本件火災原因につき長期間にわたり綿密な調査を実施し、膨大な証拠を提出した。

(二) 被告は、本件船舶のメーカーである訴外株式会社アイエイチアイクラフト(以下「IHI」という。)や、エンジンメーカーの富永物産株式会社(以下「富永物産」という。)から入手した資料を基に、船舶の専門家である株式会社海洋総合技研による再現実験を行い、右実験結果により、事故当時の客観的状況では自然発火はありえないことから、本件火災原因を放火と判断した。また、乗船者の供述及び本件船舶の運行状況から、原告乙山が右放火に関与していると判断した。

(三) したがって、被告が、原告乙山が放火に関与したと信じたことには相当な根拠がある。

4  正当行為(原告乙山の請求原因に対し)

(一) 弁論主義・当事者主義の支配する民事訴訟においては、当事者が自由な主張を尽くすことが必要であり、一般の言論以上に強く保護されるべきである。

(二) 被告の本件陳述は、原告乙山を攻撃するために主張したものではなく、理由のない保険金請求を拒否する意図で行ったものであり、右主張は原告会社の保険金請求に対する抗弁事実であるから、当該事件と関連する事実の主張である。

また、被告は抗弁3のとおり相当な根拠をもって主張した。要件事実を充たすため訴訟追行上必要最小限の主張であり、表現方法は婉曲的であって、著しく不適切な表現内容、方法、態様で主張したものではない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認ないし争う。

出火原因については、被告主張の前提事実を確定することができない以上、放火であると断定することはできない。

2  抗弁2ないし4は争う。

理由

第一  原告株式会社Aの請求について

一  請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二  同3の事実は、本件事故及び火災が偶然の事故であるか否かを除き、当事者間に争いがない。そこで、以下、項を改めて、本件事故及び火災の原因について考えてみる。

三  本件事故及び火災の原因について

1  本件船舶の構造

本件船舶について、甲第五、六、一一号証、乙第二、三、六、二九、五六、六二号証、証人土井三四郎の証言によれば次の事実が認められる。

(一) 本件船舶の概要

本件船舶は、原告会社のグループ会社である株式会社丸二とIHIとの間の船舶建造契約により、昭和六三年六月ころ建造されたいわゆるワンオフ艇であり、その後、原告会社に所有権が移転した。

本件船舶は、全長16.07メートル、全幅4.37メートル、全高(深さ)2.32メートル、総トン数一九トンのプレージャーボートである。最大搭載人員は、航行予定時間が二四時間以上の場合は、旅客六人、船員四人の計一〇人、二四時間未満の場合は、旅客一一人、船員四人の計一五人である。そして、主機関を左右に二機搭載し、主機関の出力は、それぞれ、最大出力一四四〇SHP(軸馬力)、二三〇〇RPM(回転)、連続定格出力一二〇〇SHP、二一七〇RPMを有しており、最大速力43.8ノット、巡航速度39.2ノットの高速を誇っていた。

(二) 本件船舶の大まかな構造

本件船舶の大まかな構造は、図一、二のとおりであるが、最上部にフライングデッキと称するデッキ(甲板)があった。フライングデッキには操縦席が設けられており(以下、この操縦席部分をとくに「フライングブリッジ」という)、その下部には操舵室があり、ここでも船舶を操縦することができるようになっていた。操舵室の後方にはデッキが、前方下部には船室(キャビン)があり、船室内のソファーの下に、ライフジャケットが格納されていた。デッキの最後部は船尾になっていたが、船尾の左舷隅に救命筏(ライフラフト)が格納されていた。デッキの下部には機関室があり、機関室には二機のエンジンが左右に設置され(それぞれ、「右舷主機関」、「左舷主機関」という)、デッキ上に存するハッチから梯子(タラップ)を使って、機関室に入ることができた。

(三) 本件船舶の操縦

前記のとおり、本件船舶は、フライングブリッジと操舵室の二ヶ所で操縦できるようになっており、各操縦席には、エンジンへの燃料供給量を調整し速度を増減させるためのスロットルレバー、及びエンジンの回転をプロペラ軸に伝達する装置であるギヤを切り替えて、前進、後進、中立(ニュートラル)を操作するためのギヤシフトレバーが装備されていた。本件船舶は二機のエンジンが左右に設置されていたので、それぞれを操作するためのスロットルレバー、ギヤシフトレバーがあった。そして、非常停止を目的とした押しボタン式のエンジン停止ボタンが装備されていた。

(四) 機関室への酸素供給設備

主機関で燃料を燃焼させるための酸素供給設備は、図三のとおりであるが、デッキ上に吸気ボックス、ダクトなどが設置され、そこから機関室へ酸素が取り込まれるようになっていた。そして、機関室火災の際の密閉消火を考慮し、合計四ヶ所のダンパー(ダクト等への空気の流入を遮断する装置)を遮断することで、酸素の供給を止めることができるようになっていた。ダンパーは遠隔操作式で、ワイヤーの先端を引っ張ることで閉鎖を行うことができた。

また、機関室へ入るためのハッチを開けておくことで、酸素を取り込むこともでき、航行中は常にハッチは開けられていた。

(五) 機関室

機関室内の構造は、図四ないし七のとおりであるが、デッキに存するハッチから垂直に軽合金製のタラップ(梯子)が降りており、タラップを伝って機関室に入ることができるようになっていた。このタラップの前方(船首側)中央部には発電機があり、タラップの後方側(船尾側)の左右に右舷主機関、左舷主機関が設置されていた。

(1) 主機関

各主機関は、効率よく出力を高めるために、空気に圧力を加えた上で、シリンダ内へ吸入する過給機(ターボ)が設けられていた。そして、この過給機には空気を水で冷却して容積を減らし、さらにシリンダへ送る空気の重量を増加させる装置(インタークーラー)が設けられてた。

右装置によって、主機関は過給機で機関室内の空気(酸素)をより多量にシリンダ内へ押し込み、これに燃料が噴射されることによって爆発、燃焼し、より大きな出力を得られた。燃焼ガスは排気ガスとして排気管を流れ船外へ排出されるが、排気管は排気ガスにより高温に加熱されるため、外側にマイティーカバーでエビ継ぎに巻かれ、その上からガラスクロスで包まれ(これらを「ラギング」という)、表面にはオイル等の浸透防止のためのステンレス板でカバーされていた。また、本艇には、この排気温度の上昇を温度感知器により検出し、設定値五〇〇度をオーバーすると警報を発するシステムが装備されていた。

主機関の底部には、潤滑油を溜める受け皿(オイルパン)があった。

(2) 船底

船底は、船底中央部を中心として左右に約一五度の傾斜がある。そのため、船底に溜まった漏水、結露水などの汚水(ビルジ)は、船体中央底部へ流れる構造となっていた。このビルジが溜まる部分をビルジ溜まりというが、後記のとおり、本艇は巡航時、後部傾斜するので、ビルジは船底中央後部に溜まる仕組みになっていた。

このビルジ溜まりの部分には、溜まったビルジを船外へ排出するための二台の電動ビルジポンプが装備されている。

一台の電動ポンプは大型で容量が大きく、交流二〇〇ボルトを電源としている。

もう一台は小型で電源を直流二四ボルトとし、ビルジオートスイッチとセットで装備されていた。このオートスイッチにより、ビルジの水位が上昇すると自動的にスイッチが入り、ビルジを排水し、排出されてビルジの水位が下がれば、自動停止するようになっていた。このビルジポンプは毎分八三リットルの排水が可能であり、このビルジスイッチはスイッチ本体の底部から二、三センチ迄ビルジ水位が上昇することで入り、ビルジポンプが作動するようになっていた。

(3) その他

機関室後部中央付近には、漏洩した油類等を拭き取るためにぼろ布(ウエス)及び二〇リッターのオイル缶三つが保管されていた。

(六) 本艇で使用されるオイル

(1) 本艇で使用されるオイルは、燃料の軽油、主機関潤滑油、減速機潤滑油、操舵油(ステアリングオイル)(本艇の操舵装置は小さな操作力でスムースな操舵ができるよう油圧方式になっており、そのための作動油である。)である。

それぞれの引火点は次のとおりである。

軽油 六五度

主機関潤滑油 二七四度

減速機潤滑油 二七八度

操舵油 二一六度

文献による発火点は次のとおりである。

軽油 三〇〇ないし三五〇度

潤滑油 二五〇ないし三五〇度

ここに、引火点とは、一定条件下で試料を加熱したときに発生する試料の蒸気が試料表面上の空気と混合して加熱混合気体をつくるのにちょうど十分となり、これに火炎を近づけると光を発して瞬間的に燃焼する際の試料の温度をいう。そして、発火点とは、着火源を与えないで物質を空気中又は酸素中で加熱することによって、発火または爆発する最低温度をいう。

(2) 主機関の運転に必要な燃料及び潤滑油の供給は、主機関に直結し駆動される燃料ポンプ、潤滑油ポンプにより各加圧供給される。

主機関の回転が中間軸で伝達される減速機の潤滑油も、主機関に直結された減速機潤滑油ポンプにより供給される。また、操舵装置の管系油圧は主機関に接続されたパワーユニットにその回転を伝えることにより発生する。

このように燃料、主機潤滑油、減速機潤滑油、操舵油の各圧力は、すべて主機関が運転され、その回転が正常にポンプに伝達されることで発生する。したがって、主機関が停止した場合、主機関の回転数の低下と同時にこれらの圧力は低下し、それぞれ低下時間に差異はあるが、最終的には大気圧まで低下する。仮に、どの管系から潤滑油類が漏洩したとしても主機関停止とともに漏洩も停止する。

(七) 本艇の傾斜

本艇の停止時における船体の傾斜は前方傾斜で、その角度は約0.1度である。そして、航走中の船体傾斜に関する本艇のデータは存しないが、一般に小型高速艇は、巡航速力時、約三、四度の後部傾斜が理想とされ設計されるのが通常であり、本艇でもビルジポンプが船底後部に設置されているし、過去ビルジが溜まって排出されず不都合があったという事情も存しないので、正確な角度は不明ではあるが後部傾斜していると認めることはできる。

(八) 消火器の設置状況

本艇の消火器の設置状況は、図八のとおりであり、今回の航海では手動式の粉末消火器は、機関室及び操舵室に設置されており、機関室には、タラップを降りたすぐ横(左舷機側)及び機関室後部の二ヶ所に設置されていたが、キャビン等のものは不明である。

(九) 本件船舶の修理歴等

本件船舶は、建造後、整備と改修が繰返され、平成二年六月に改修、平成三年六月、平成四年一月から四月、平成五年四月に整備、平成六年六月には、整備及び改修がなされている。

さらに、本件船舶は、平成六年七月九日にも、右エンジンの排気管ラギング(断熱材)にステアリングオイル(操舵油)が付着し出火したことがあったが、この時は、消火器で消すことができた。

そして、本件船舶は、平成六年秋には法定の定期検査として、IHI及び富永物産により全面的に検査を受け、平成七年四月二七日、点検修理及び補修工事が完了した。

平成七年六月にも整備を行い、同月一七日には横浜市の磯子にあるIHIから大島まで試走を行ったが、特に異常は見られなかった。

2  本件火災に至る経緯

争いのない事実、甲第一、一一、四二、四五号証、乙第五ないし第七号証、第一〇、一四、一九、二〇、二三、二五、二六号証、第二九ないし三八号証、第四一、四二、五一号証、証人荒井秀樹の証言、証人甲野太郎の証言、原告乙山次郎本人尋問(第一回、第二回)の結果及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 甲野太郎(以下「甲野会長」という。)を会長とする原告会社を含むグループ企業は、毎年夏期には本件船舶を使用してレジャーを兼ねた研修旅行を実施しており、平成三年までは三宅島を、同四年以降は屋久島にある右グループの別荘(社員寮)を利用していた。例年は、原告乙山を含めた四、五人程度で目的地に向かい、甲野会長や他の社員は飛行機で往復し、目的地でのみ本件船舶に乗っていた。

甲野会長は、平成七年度も同様の研修を実施することとし、屋久島で本件船舶をレジャーに利用するため、例年通り船長である原告乙山に対し屋久島までの航海を依頼していた。研修に行く人物の決定は、甲野会長によってなされ、同年七月一一日までに、原告乙山、甲野会長、外川照嗣、大野穣司、山田其、神藤忠寛、塩畑恒夫、外川興亜紀、岩間恵、雫美月、林絵理子(以下あわせて「原告ら」といい、興亜紀、照嗣は名で、その他の者は姓で摘示する。)が乗船して屋久島へ向かうことに決まった。原告らは、全て甲野会長のグループ企業の関係者または甲野会長の親族であった。甲野会長は、出発前の会議において、ライフジャケットや消火器の設置場所等の説明をし、さらに、航行中はなるべくライフジャケットを着用しておくことなどの注意を与えていた。

また、甲野会長の強い希望で本件船舶のエンジン等のトラブルに備えるため、メカニックを同乗させることになり、原告乙山らは、事故日の約一か月前、出航の約一週間前、出航前日の午前中に、IHIに対してメカニックの派遣を依頼をしたがいずれも断られ、前日の午後に甲野会長が直接電話で依頼をして、ようやく富永物産の従業員である荒井が乗船することとなった。

他方、目的地は屋久島までと決定していたものの、航海計画については一切定められることはなかった。

(二) 原告らは、同年七月一二日午前八時四〇分ころ、本件船舶に乗船し磯子にあるIHI岸壁から出航し、同日午前一一時一〇分ころ下田港に寄港、同日午後五時二〇分ころ鳥羽に到着し、鳥羽国際ホテルないし本件船舶内で分宿した。

原告らは、翌一三日午前七時ころ給油をした後、午前九時一〇分に同港を出航、同一一時三〇分ころ那智勝浦港に入港して給油・点検をすると共に昼食をとったが、その際同港湾内において第三者の船舶に火災が発生したことから、本件船舶により消火等に助力した。午後一時五〇分ころ同港を出航し、午後三時五〇分ころ印南港に寄港したのち、午後四時三〇分ころ同港を出て紀伊水道を横断し、午後五時五〇分ころ徳島県の日和佐港に入港、満タンになるまで給油した後、同地にてホテルと本件船舶内に分かれて宿泊した。

右航海中、原告らにおいて、本件船舶に何ら異常は感じられなかった。荒井は、各出航前の点検として機関室に入っていた他、航海中もおよそ三〇分おきくらいに一回程度の頻度で、本件船舶の機関室に入り、主に視認により油、水の漏れ等を点検し、異常のないことを確認していた。

(三)(1) 原告乙山及び荒井は、日和佐港において、同月一四日午前七時三〇分ころから、出航準備に取りかかり、主機関の冷却水、オイル量、オイル漏洩の目視点検をしたが異常はなく、機関室のビルジ溜まりにもほとんどビルジは溜まっておらず、ビルジに油分がないことも確認した。

原告らは、右点検の後、同月一四日午前八時ころ、本件船舶に乗船して日和佐港を出航し、四国沿岸と大島との間を通らず、いつもより陸岸から離れて大島の外側を航行し、巡航速度(主機関二一五〇回転、三七ないし三八ノット)で室戸岬の方向に進路をとっていた。同日の天候は晴であり、波も殆どないいわゆるべた凪の状態であった。

出航後、原告乙山、甲野会長、林及興亜紀の四人はフライングデッキに、大野、荒井及び照嗣の三人は操舵室に、山田、神藤、塩畑、岩間及び雫の五人はデッキ(甲板)にいた。

原告らは、出航から約三〇分の間、本件船舶に何ら異常を感じていなかった。また、荒井は、同日出航前から機関室に入って主機関等を点検し、エンジンの回転数が上がるまでの一〇分ないし一五分間、同室内にいたが、油漏れの臭い等は感じられず、異常は認められなかった。

(2) 原告乙山は、同日午前八時三〇分ころ、機関室から出てきた荒井から機関に異常がないこと等の報告を受けた後、操舵室の船舶電話によりIHIに電話をし、「日和佐港を出航して快調だ、海上べた凪」等と告げ、フライングブリッジに上がり、再び操舵していた。

(3) 右同時刻ころ、原告乙山は、フライングブリッジにおいて操舵していたが、突然、スロットルを下げ、クラッチレバーをニュートラルにして左右の主機関をアイドリング状態にするとともに、フライングブリッジからデッキに下り、操舵室内にいた荒井に突然「お前入れよ」と怒鳴った。これは、原告乙山の供述によると、フライングブリッジで操舵中、突然本件船舶がやや右に傾くような感じを受けたため後方を振り向くと、右後方の排気から一瞬黒い煙が見え、右舷主機関の回転数が低下したのが分かったので、主機関に何か異常が生じたと考えたからであるという。

しかし、荒井は、何ら異常を感じておらず、魚等を水中銃で撃つために減速したと思っており、原告乙山から怒鳴られてもわけがわからず、操舵室の外に脱いであった靴を覆くのに手間取っていたため、原告乙山は、自ら機関室へ入った。

このとき、原告乙山以外の乗員は、本件船舶が傾いたとは全く感じておらず、魚でも見付けたため船舶を止めたという程度にしか思っていなかった。また、原告乙山が右の黒い煙を見たという以外に、誰も煙を見ておらず、原告乙山を含め誰も臭いや熱などを感じなかった。

(4) 原告乙山は、機関室に梯子(タラップ)で降りたが、その後、機関室からデッキに上がり、操舵室内に入って右舷機を停止させた。さらに原告乙山は、同室内に備え付けられていた消火器を持ち出して再び機関室に入り、消火器を噴霧した。これは、当初機関室内に入った際、右舷機の前方に火災を発見したからであるというのが、原告乙山の説明である。

このとき、荒井は、機関室に入るためのハッチの近くにいたが、消火剤の粉末がハッチ入口から舞い上がるのを見た以外、火炎による煙や火を目撃しておらず、臭いや熱も感じなかった。他の乗員にも、この時点で、明確に、煙や火を目撃したり、臭いや熱を感じたりしたという者はいない。

原告乙山は機関室の梯子を登って同室から出つつ「左舷機も止めろ」と言い、これを聞いた荒井が操舵室で操作し左舷機も停止させた。

(5) 原告乙山は、機関室を出ると「もう駄目だ」といい、その言葉を聞いて甲野会長は退船を決断した。

このころ、原告乙山は、本件船舶の機関室への吸気口を遮断するための装置であるダンパーのレバーを操作する動作をした。

原告乙山は、同日午前八時三五分ころ、操舵室の船舶電話によりIHIに電話をし、「機関室にて火災発生、消火器にて消火中」等と告げた。そして、電話後、ハッチを開けて覗いて、中の状態を見たが、すぐにまた閉めた。そして、原告乙山らは、左舷後方からライフラフト(救命筏)を出して退船の準備をした。

そのころ、甲野会長が「メカ、消火器もってこい」などと消火器を探すように怒鳴り、荒井らは操舵室、キャビン等で消火器を探した。荒井がデッキの方に出ると、甲野会長は右のように荒井に消火器を探すよう指示し、荒井は操舵室やキャビンの方に戻るということがあった。結局、荒井らは消火器を発見することはできなかった。また、ライフジャケットが取り出され、荒井は、キャビンにおいて誰か女性に対しライフジャケットの着用方法を教えていた。

(6) 原告乙山は、同日午前八時四〇分ころ、操舵室の船舶電話によりIHIに電話して「退船する。」などと連絡し、そのころ、船室内にも煙が立ち込めてきたため、ライフラフトに乗込み、本件船舶と結ばれていたロープを切断した。本件船舶は、急速に火が回ったことから、燃料である軽油が大量に燃焼したものと認められる。

原告らは、同日午前八時五五分ころ、本件船舶の付近にいた太刀魚漁漁船によって救助され、海上保安庁等の消火活動にもかかわらず、本件船舶は、同日午前一一時四〇分ころ、徳島県海部郡宍喰町竹ヶ島南東約四キロメートル沖合(水深一二〇メートル前後)において沈没した。

3  原告乙山の供述

(一) 右のとおり、本件火災は、出航後八時三〇分ころ(前後の幅はある)に機関室内から出火し、その後、遅くとも午前八時五五分には、本件船舶の写真(乙第二三号証)の如く、船舶の上部全体を真っ赤な炎がおおい、黒煙が低くとも数十メートルの柱になって上昇するという大炎上に至り、そのまま燃焼を続け、約三時間後の午前一一時四〇分ころに沈没するまで燃焼し続けていたことが認められる。

しかしながら、出火時刻について正確な時刻を客観的に確定するための証拠は存しないし、また、機関室内の炎の状況についても、原告乙山が目撃したと供述するのみで、その他の乗員は誰も直接機関室内の火災を目撃しておらず、しかも本件船舶は沈没し引き上げもなされていないので、客観的に特定することは困難である。

そこで、本件火災の原因を認定するにあたっては、原告乙山の供述の信用性を軸にして判断せざるを得ないので、まず、原告乙山の供述内容を摘示することとする。

(二) 概ね一貫していると認められる部分

原告乙山の供述に関する証拠は甲第一一号証、乙第五、六、一〇、一三、一四、一八、二七、二八、四一、四九号証及び原告乙山本人尋問(第一回、第二回)の結果と多岐にわたり、その間に一貫している部分、明らかに変遷している部分等存するので、まず概ね一貫している部分につき摘示する。

原告乙山は、本件火災の当日午前八時ころ日和佐港を出航すると、フライングブリッジにおいて本件船舶を操船していた。午前八時三〇分ころ、IHIに操舵室の船舶電話から本件船舶に異常がない旨電話した。そして、その後フライングブリッジに戻っていると、船体ががくっと右に傾くのを感じ、後方を見ると一瞬黒煙が上がるのが見え、計器を見ると右舷主機関の回転数が、二一五〇から一九〇〇RPMに低下した。そこで、両主機関のスロットルレバーを下げて回転数を落とし、クラッチレバーをニュートラルにし、主機関をアイドリング状態にして、デッキに降り、ハッチから一人で機関室に入った。

機関室に入ると右舷主機関の前方から天井に届く炎が出ているのを発見したので、機関室を出て、操舵室に入り右舷主機関を停止し、同室内の消火器をもって、再び機関室に入った。

機関室内で消火器を噴霧した。消火器の噴霧により炎が消えたか否かについて供述は変遷している。

原告乙山は、この間ずっと裸足のままだった。

消火器使用後、機関室入り口のハッチを閉め、全部のダンパーを閉めた。消火するため、再び機関室のハッチを開けたが、中の状態を見てあきらめて閉めた。

そして、この間の八時三五分ころ、IHIに消火中と電話した。

原告乙山は、同日午前八時四〇分ころ、また操舵室の船舶電話によりIHIに電話し、「退船するので海上保安部へ連絡請う」等と告げ、船尾倉庫にあったボンベ一二本のうち約半数のエアを抜いていたが、煙が立ち込めてきたため、ライフラフトに乗込み、本件船舶と結ばれていたロープを切断した。

退船後、左舷冷却水の排水がなされていることから発電機が動いていることに気がついた。

(三) 明らかに変遷している部分

(1) 最初に発見した際の火災の状況

ターボとインタークーラー付近に火が見え、ターボ付近は天井まで炎が上がっており、インタークーラー付近の炎は余り大きくなかったと供述していたが、後に、発見した火災の場所はターボ付近、インタークーラー付近とは特定できない、右舷機前方を下から包み込むような感じでかなり強い炎が出ており、炎が天井まで届いていたと供述するようになった。

右供述は、右舷機前方で天井まで届く火が出ていたという点で一貫するが、具体的な部位、炎の大きさに変遷がある。

(2) 消火の状況

消火器を噴霧したことにより、鎮火したと供述していたが、後に、消火器を使った時点で炎が見えなくなったから消えたと表現したのであって、右足斜め方向よりものすごく強い熱さを感じて、炎が私の方に上がってくると思ったという記憶があるので消えていなかったはずであると供述するようになった。

(3) ハッチを開けたときの状況

消火器による消火の後、再度ハッチを開けた際に、白煙のために何もせずハッチを閉めたと供述していたが、ハッチを開けたら火と炎とわーと来ているんで、もうだめだと思って閉めたと供述するようになった。

4  火災原因調査実験について

次に、被告は、本件火災原因の調査のため、原告乙山の供述をもとに実験を行っているので(乙第一六、一七号証、第二〇ないし二四号証、第五一、五三、六二号証、証人土井三四郎の証言)、この実験の結果につき摘示する。

(一) 実験の前提

原告乙山の供述を前提に、出火場所として右舷主機関の前部、炎の大きさを床から発生して機関室の天井に届くものと仮定する。

発火源としては、①電気系統、②発電機の可能性は排除する。また、③主機関のうち、排気ガスの漏洩、主機関本体の可能性は排除し、四四〇度の排気管を発火源とする。

燃焼物としては、ウエス、予備オイルは機関室船尾にあり出火場所とは異なるので排除する。また、荒井が機関室にいた段階でビルジ溜まりには油が溜まっていなかったと供述しているから、ビルジ溜まりの油も燃焼物から排除する。そうすると、燃焼物と考えられるのは、本件船舶で使用している①軽油、②主機関潤滑油、③減速機潤滑油、④操舵油のいずれかということになる。

機関室の図面作成は、本艇の建造社であるIHI及び主機関のメーカーである富永物産から関係図面を取り寄せて再現する。ただし、機関室内の配管については、実際の配管図が存しないので、IHIから神戸地方海難審判理事所へ提出された機関室全体配置図にその配管位置が加筆された図面を参照する。

空気の流入については、本件船舶の吸気口、ハッチのとおり再現する。

(二) CADによる可燃物の選別シュミレーション

各油類が発火源に到達するか否かについて、コンピューターを使用して、物理的な観点から計算した結果、次のとおりの結果が得られた。

発火源たる排気管に到達するのは、燃料供給管系、主機関潤滑油系、主機減速機潤滑油系、操舵機作動油系が破損した場合である。

しかしながら、これらの管系が破損した場合には、主機関が停止することにより油を供給するためのポンプが停止してしまうため、本件火災のような急激に大炎上に至る程の油を供給することができない。

逆に、燃料のもどり管系、又は各燃料タンクが破損した場合には、大量の油が流出するが、これらは排気管に到達しないという計算結果が得られた。

(三) 排気管への可燃物滴下実験

右CADによる計算を基に、四四〇度に加熱した排気管に断熱材を巻き、その上に操舵油、軽油を滴下する実験を行った。

予備実験において、軽油と操舵油の引火点が低く、発火点が主機潤滑油、主機減速機潤滑油と操舵油が同一であったことから、右二種類の油でのみ実験した。

右実験の結果、可燃物は気化現象を起こすものの発火することはないことが判明した。

(四) 原告乙山の供述する火災の再現実験

原告乙山の供述を前提に、船底から機関室天井に届く程度の火災を強制的に発生させた。

右実験によれば、機関室、吸気口から相当量の黒煙が認められた。また、消火器による噴射及び密閉消火いずれによっても鎮火することができた。

しかし、原告乙山の供述どおりに、火災の発見、消火器の持込み等を迅速に行っても、消火器を噴霧するまでに出火から四六秒程度は経過してしまい、その時点では機関室入り口の温度は一五七度に達するため、タラップに降りることはできなかった。

また、火災発生後一〇秒程度経過すると計算上主機関の過負荷警報が作動する排気温度五〇〇度に到達することが判明した。

(五) 実験からの帰結

燃料油系のパイプが破損し、油分が排気管にあたり、さらに電気系統の故障等による火花が発生するか何らかの直火が発生したという状況が偶然にも重ならない限り本件火災の態様による火災は発生せず、本件ではあり得ないと考えられる。

右のとおりの火災が発生したとしても、主機関は過負荷警報を発し、煙、炎等を吸引し自動停止するはずである。

5  故意による出火以外の可能性の検討

以上の事実経過及び実験結果から、本件火災について故意による出火以外の可能性があるのか否かを検討する。

(一) 人の過失行為の可能性

人の過失行為による失火としてはたばこやライターの火などが考えられるが、機関室内には荒井か原告乙山しか入っておらず、両人がたばこを機関室で吸ったという証拠はないし、エンジニアである荒井や船長である乙山がたばこを機関室に捨てるとも考えられないし、仮にたばこやライターの火が着火源となるとしてもその燃焼対象たる油が流出していなければならないが、本件火災に至る程度の大量の油が流出すれば臭いや目視で容易に認識し得るはずであり、油の流出を発見したという事実もなく、また乙第一七号証の火炎高さ確認実験からするとたばこの火程度の火力では容易に大量の油を燃焼することはできないと認められるから、人の過失行為の可能性はほとんどあり得ない。

(二) 自然発火の可能性

(1) 電気系統の可能性

電気配線等による漏電火災やスイッチの爆発などが可能性として考えられるが、船舶内の照明や電気機器に異常が発生したり何らかの警報が発せられたという証拠はなく、右舷機主機関前方付近には電気機器が設置されていた状況もない。

右舷機主機関前方以外から火災が発生していたとすると原告乙山が火災を発見していた時点では相当炎上していたことになるが、そのような火災が発生していたとすれば、原告乙山が気づく前にデッキ上の原告らが誰も、煙、臭い、熱などの異変を感じなかったというのが非常に不自然になるし、それだけの火災であればエンジンが何らの影響も受けていないはずがないし、また、原告乙山が裸足で機関室に降りられるはずがなかったとも考えられるので、右舷主機関以外から火災が発生していたとは考えがたい。

また、本件火災の態様、速度からして、燃料である軽油が大量に燃焼したとしか考えられないが、電気系統による火災の発生で、本件のような急激な大炎上に発展するのか疑問がある。

したがって、電気系統の可能性は著しく低いというべきである。

(2) 発電機からの出火

発電機は、その駆動を内燃機関で行っていることからシリンダー内での燃料の爆発、その後の排気熱が発火源となりうるが、前述のとおり電気系統の異常が発生したとの証拠は存しないし、右舷主機関よりも前方、すなわち右舷主機関とはタラップを挾んで反対側にあり、出火場所が異なるし、原告乙山は、退船後、発電機の排気と冷却水が本艇左舷側から排出されているのを見て、発電機が作動していたと供述していることなどから、やはり発電機からの出火の可能性も同様に低いといわざるを得ない。

(3) 主機関本体による熱

乙第一六号証によれば、主機関本体の温度は八五度程度で、下部のオイルパンでも一一五度である。

軽油や潤滑油の発火点はこの温度よりはるかに高温であることから主機関により暖められて出火したとは考えられないし、船底に油類が溜まったとすれば、船体が後部傾斜することにより油類は船尾方向に流れ、船底はV字型に中央がくぼんでいるから、船尾のビルジ溜まりに溜まって、ビルジポンプにより油類は外部に排出されていたはずであり、本件火災のような大量の油が一気に燃焼した態様による火災が、主機関の熱によって暖められたがために発生したというのも考えにくい。

(4) 排気ガスの漏洩

高温の排気ガスの漏洩による出火については、その場合、機関の出力が低下し、黒煙を伴うガスが噴出するはずであるが、原告乙山が火災を発見するまで本件船舶は順調に運航していたのであるし、煙や臭い等を誰も気付いていなかったのであるから、この可能性も低い。

(5) 排気管の熱

乙第一六号証によれば、巡航速力時の主機排気温度は四四〇度に達しうることから、油類の引火点、発火点の温度と比較すれば、十分に発火源となり得ることが認められる。また、主機関での排気管の配置は本件船舶主機関の前方であるから、出火場所という点において、原告乙山の供述と符合することとなる。

したがって、原告乙山の供述を前提とし、かつ、本件火災が人の故意過失によるものでないとすれば、その原因としては、高温に達した排気管に油がふりかかり、そこから発火した可能性が最も高いま考えることができる。

しかしながら、前記実験は、本件船舶と全く同じ状況を再現したうえでなされたものではないものの、油類が流出し、排気管にあたって火災が発生する可能性が極めて低い旨を結論づけている。そこで、この点の可能性については、次に故意による火災の可能性を検討した後に、前記実験に対する評価と併せて、改めて検討する。

(三) 以上の検討を総合すれば、排気管の熱を原因とする自然発火の可能性を除けば、本件事故が、人の過失行為や自然発火によって引き起こされた可能性、すなわち、人の故意行為以外を原因として引き起こされた可能性は極めて低いものと認めることができる。

6  故意による出火の可能性

まず、本件火災は機関室を火元とすることが認められるが、同室では、日和佐港出航の折り、荒井による点検が行われ、荒井が出た後は、前記のような経緯で、異常を感じたとする原告乙山が機関室に入るまで、人が入った形跡は認められないし、荒井には、本件船舶に放火すべき動機も理由も考えられないから、出航以前に何者かが本件船舶の機関室に発火装置を仕掛け、これが原因で本件火災が発生したという可能性はまず考えられない。

したがって、本件火災が人為的に惹起されたとすれば、本件船舶の出航後に、機関室における工作がなされたと考えるほかない。

しかしながら、本件船舶の構造や乗船者の構成、荒井の供述などに照らすと、船長である原告乙山以外の者が、原告乙山の協力なしに右のような工作をなし得た可能性は極めて低い。

また、原告乙山は本件火災の発見者であるばかりか、出火原因を検討するに当たって極めて重要と思われる、出火段階の状況を供述し得る唯一の目撃者である(原告乙山が炎を現認し、消火器を噴霧して消火活動を行った時点において、原告乙山以外に、煙や炎、熱といった火災の兆候を認めた者がいないことは既に述べたとおりである。)。

そこで、以下において、本件火災に関する原告乙山の供述について検討する。

(一) 客観的事実との不整合

火災を発見した際の火災状況に関する原告乙山の供述に変遷があることは前記のとおりであるが、同人の供述は、当初機関室に降りた時点で、右舷機関前方で、機関室の天井(乙第一七号証によれば、機関室の床から天井までの高さは約1.5メートルと認められる。)まで届く火が出ていたという点においては一貫している。

また、本件火災の急速な展開状況に鑑みると、本件火災においては、燃料である軽油が大量に燃焼したものと認められることは既に述べたとおりであるし、乙第一七号証に認められる前記実験の結果によれば、軽油が、原告乙山の供述するような炎を発する状態で燃焼した場合には、相当量の煙と熱が発生することが認められる。

したがって、原告乙山の右供述を前提とすると、原告乙山がはじめに火災を発見した時点で、既に相当量の煙と熱が発生していたものと考えざるを得ない。

ところが、右の時点では、機関室入り口の最も近くにいた荒井を含め、熱や煙、臭いを感じた者は、原告乙山以外には誰もいないのである。

もっとも、この点については、右の時点で両主機関がいまだ稼働中であったことから、煙や熱が主機関によって吸引され、他の乗員に認識されるには至らなかったと考える余地がないわけではない。

しかしながら、右の時点で両主機関は既にアイドリングの状態にあったから、その吸気能力は格段に低下していたはずであるから、主機関が、火災により発生した熱や煙をことごとく吸収する状態にあったとは考えにくい。また、主機関が煙や熱をすべて吸引したとすれば、当然、稼働の停止や警報装置の発動など、主機関の活動に影響が出て然るべきであるが、そのような形跡は認められない。さらに、原告乙山は、機関室を出た後、自ら右舷機を停止させ、再び機関室に戻って消火器による消火行為を行っているが、この時点に至ってもなお、この時機関室入り口近くにいた荒井は、火炎による煙や火、臭いを全く感知していない。したがって、主機関による吸気効果により、炎の煙や熱がすべて吸引されていたと考えることには、やはり無理があるというべきである。

つまり、現に原告乙山の供述するような炎が上がっていながら、他の者が煙や熱を何ら感じない、という事態を合理的に説明することは極めて困難であり、むしろ、原告乙山以外の乗員の供述から認められる状況からすれば、原告乙山がはじめに機関室に入った時点では、同人が供述するような炎は機関室内に発生していなかったものと推認せざるを得ないのである。

したがって、この点に関する原告乙山の供述は、当時の機関室内の客観的状況と全く整合しないものと判断せざるを得ない。

(二) 原告乙山の火災の目撃供述の不自然性

(1) 原告乙山が発見した火災

原告乙山は、右舷機関前方で機関室の天井に届く火が出たのを目撃したとしているが、荒井が機関室を出てわずか一五分程度しかないのにそのような火災が生じうるのか疑問がある。

また、本件のような急速な火災を前提とすると大量の軽油が燃焼したと考えざるを得ないが、油類が流出した場合、船舶の後方傾斜と船底のV字の溝からすると、船尾で燃焼するのが自然であるし、その油類もビルジポンプで排出されている可能性も高いので、原告乙山の供述した場所から出火したということも不自然さを否めない。

(2) タラップで機関室に降りたことへの疑問

原告乙山は、機関室に入り火災を発見した後、操舵室に行き右舷機を止め、消火器を取り、再び機関室に入りタラップにつかまって消火活動をしたと供述している。

しかし、前述の被告の実験の結果、速やかに原告乙山が行動したとしても四六秒はかかり、その時点で、機関室入り口の温度は一五七度に上昇している。

確かに、原告乙山がもっと早く行動した可能性が絶対ないわけではないし、エンジンによる吸気のために風が起こるなど条件が異なっていることはあり得る。

しかし、右舷機主機関前方はタラップのすぐ間近であり、熱により直ぐ暖められる場所であるし、タラップの素材は軽合金製でそれ以上確定できていないが、その温度の上昇は比熱からして極めて速いはずである。そして、原告乙山の行動も事後的に行動経緯が確定した段階で再現しても四六秒かかるのに、緊急事態の下、精神的動揺を受けている原告乙山が、様々な判断を行いながら行動していることからすると、右四六秒と比較して格段に早く行動できたとは認め得ない。

そうすると、原告乙山は裸足でタラップに降りて消火活動をしたと供述しているが、まったく火傷をすることもなく、かかる行動をとることは不可能であったといわざるを得ない。

(3) 甲野会長に「もうだめです」と報告したこと

原告乙山は、消火器を噴霧したことにより火災が見えなくなったと思っていたにもかかわらず、甲野会長にもうだめですと報告し、これを受けて甲野会長も退船を決定している。

原告乙山は、当初鎮火しましたと供述しており、その後も火災が消えたように認識したと供述している。それにもかかわらず、「もうだめです」と報告すること自体考えがたい状況であるし、過去にエンジンから火災が発生した際に、消火器で消火できた経験があるのに、非常にあっさりと甲野会長が退船を決意している点も納得しがたい状況である。

(三) IHIへの電話と甲野会長への報告内容の不整合

原告乙山は、消火器を噴霧した後、①午前八時三五分ころ、IHIに電話をして「消火中」等と報告し、②他方で、甲野会長に対しては、前記のとおり「もうだめです」とか、後記のとおり、甲野会長の供述によれば「火の海です」等と言っていることになる。そして、甲野会長は、右の原告乙山の言葉を聞いて、自ら火災の状況を確かめようともせず、直ちに退船を決意しているのである。

しかしながら、もし仮に、原告乙山が火災を発見しており、それが②の言葉が表すような緊迫した状況であったのならば、原告乙山が①のように「消火中」等と電話をする理由が理解できない。本当に②の言葉が表すような緊迫した状況があったのであれば、原告乙山は、午前八時四〇分ころの「退船する」との電話を、この時点で直ちにしていてしかるべきであろう。このように考えると、原告乙山が①のように「消火中」等と電話をした当時は、実は②の言葉が表すような緊迫した状況(すなわち本件火災)は発生してはいなかったのではないかと考えざるを得ないし、原告乙山の右八時三五分ころの電話は、救助の確保をするとともに、消火作業をしたことを記録に残し、人為的な発火との疑念を事前に払拭しておこうとの一種のアリバイ工作ではなかったかとの疑いを持たざるを得ないのである。

なお、またもし仮に、①の電話の後に原告乙山の②の発言があったと考えると(このような時間的経過を辿ったとするのは原告乙山や甲野会長の供述とは反するのであるが)、原告乙山が②のような判断をするきっかけや原因が判然としないことになる。原告乙山の供述中には、船体の壁面が変色してきたとの供述部分があるが、本件船舶のようなFRP製の船体(この事実は甲第六号証、乙第三、一七号証によって認められる)についてそのような変色があり得るかについては疑問があるのみならず、もし仮に変色が発生したとしても、その変色発生時点で直ちに原告乙山が「もうだめです」とか「火の海です」等と判断することができたというのも容易に納得しがたい。

(四) 以上を総合すると、原告乙山の供述は、全体に不自然で信憑性に欠けるばかりか、前記(一)(三)の点に鑑みれば、むしろ、未だ火災が発生していない時点において、炎を見たと積極的に虚偽の内容を供述しているものと判断せざるを得ず、この点は、本件火災が、原告乙山の積極的な関与のもとに行われたことを強く推認させる事情と捉えざるを得ない。

7  本件実験に対する評価

そこで、翻って、本件火災の原因として考え得るもうひとつの可能性、すなわち、排気管に油がかかることによる自然発火という可能性について検討する。

まず、この点について、前記の実験が、油類が流出し、排気管に当たって火災が発生する可能性は極めて低い旨を結論づけていることは既に述べたとおりである。そこで、右実験に対する評価について考えると、右実験は、火災当時の本件船舶と同様な条件にできるだけ近づけた上で科学的観点から原因を追及したものと認められるが、実験である以上、あらゆる条件を同一にした完全な再現をすることは不可能であり、問題点が皆無であるとまではいえない。そこで、右事件の結果は、限定した範囲で用いることで、証拠として採用できるというべきである。すなわち、右実験の結果によって、直ちに、科学的に火災発生の可能性がないとまで断定できるわけではないが、右実験は、油類が流出し、排気管にあたって火災が発生する可能性は相当低い、ということを示していると評価することができ、その点に限定して採用することはできる。

したがって、本件実験の結果は、乙山供述について認められる前記事情とあいまち、自然発火の可能性が低いことを示唆するとともに、故意発火の可能性が高いことを推認させるものと評価することができる。

8  間接事実の検討

右検討の結果、故意以外の出火の可能性が低いものと考えることができるが、それだけで故意行為があったと断定することはできず、故意による出火であるのか否かを判断するため、さらに間接事実の検討をする必要がある。

(一) 放火肯定方向の間接事実

(1) 火災発生から退船までの不自然性

原告乙山が、午前八時三〇分過ぎころに火災を発見し、その一〇分後には全員退船している。

しかも、乗船員は、全員ライフジャケットを着け、煙を吸って声を枯らしたということもなく、服装を汚してもおらず、火傷などの負傷も全くなく全員無傷であり、手荷物などを運び出した上、カメラを持出して、退船後すぐに写真を撮影するほどの余裕まであった。

また、原告乙山が消火器を持出した際にも特に緊追した様子はなく、機関室という船舶の中心部から火災が発生しているにもかかわらず、パニックにもならずに、非常にスムーズに退船している。

確かに、甲野太郎の証言、原告らの各供述からすると、原告らは、甲野会長が厳しく指導するなどして、それなりに規律がとれた集団であったと評価することはできる。

しかしながら、原告乙山は、本件船舶に慣れていたのは自分だけであると供述しているし、原告らには船舶に初めて乗るという人間もいたのであるし、また、船舶からの避難訓練など特殊な訓練を受けていたわけでもなく、さらに火災発生という緊急事態においてライフラフトに飛び移るのも容易でなかったと考えられることなどからすると、突発的に生じた非常に展開の速い本件態様の火災において、原告らの退船の適切さ、迅速さはあまりにも不自然であると評さざるを得ない。

(2) 原告乙山の行動の不自然性

原告乙山は、本件船舶ががくっと右に傾くのを感じ、後ろを振り返ると黒煙が出たのが見え、今までにないような異常を感じた。そして、何も言わずに下に降りて、荒井には事情を説明せずいきなり怒鳴りつけ、一人で機関室に入っていった。しかも、その時点は、原告乙山を含めて誰も、煙、熱、臭いに気づいていなかったという状況である。

原告乙山は、今までにない異常を感じたと供述しているが、その時点で火災が発生していると認識しているわけではなく、黒煙が出ること自体は不完全燃焼等を起こせばあり得ることであるし、継続的に黒煙が出ていたわけでもないのであるから、それほど異常な事態であったとは認められない。また、船体ががくっと傾いた感じを受けたのは原告乙山唯一人であったことからすると、傾いた感じがあったとしても極めて小さなものであったと考えられる。

その程度の状況で、今までにない異常を感じたということ自体不自然である。

さらに、原告乙山は、フライングデッキから左舷側にあるタラップを使って下のデッキに下り、デッキに下りてからは右舷側にある入り口から操舵室内にいた荒井を怒鳴りつけているのであるが、この操舵室に至る直前には機関室に下りるハッチのすぐ横を通っているのである。そこで、なぜ原告乙山は、ハッチの横を通った際、荒井を怒鳴りつける前に自ら機関室に入って確認しようとしなかったのかとの疑問がある。原告乙山は、この点について、荒井はエンジニアであるからと述べるが、原告乙山は船長として本件船舶について責任を持つ立場にあったのだし、現実に、当日朝出航前には機関の点検もしているのであるから、わざわざ操舵室に行く前に、主機関ないし機関室内に何か重大な事象が生じたのか、あるいはそのような事は何も生じていなかったのかを先ず確認しようと考えてもしかるべきであろう。

しかも、原告乙山のいたフライングデッキには、甲野会長をはじめ四人の人物がいたにもかかわらず、何もいわずに、エンジンをアイドリング状態にし、一人で下に降り、エンジニアである荒井に対して何の説明もなくいきなり怒鳴りつけるなどしているのである。仮に、原告乙山が火災を発見して狼狽していたというのであれば、必ずしも不自然ではないといえるのかもしれないが、右のとおりの些細な異常しか発見していない段階で、しかも原告乙山は前述のように極めてスムーズに原告らを退船せしめた人物なのであるから、原告乙山の行動は非常に不自然であるといわざるを得ない。

また、原告乙山が消火器を噴霧している際には、荒井の供述に代表されるように、デッキ上では、煙、熱、臭いが発生していなかったのであり、エンジンがアイドリング状態となり、その後停止させられていたことからすると、本件火災の態様に照らし、本当に火災が発生していたのか疑問が出てくる。エンジンが全て吸引したとすれば、エンジン自体に影響が出ていたはずである(乙山が発見する前に停止したり、排気色に異変があったり、警報が鳴るなど)点も考慮すれば、なおさら火災の発生について疑問を挟まざるを得ない。

(3) 荒井の存在

荒井以外は、すべて原告会社の関係者又は甲野会長の親戚であり、放火を敢行するならば、わざわざ荒井を乗船させて放火する必要はなかったとも考え得る。

しかしながら、もし仮に計画的に放火を行うのであれば、関係者以外の第三者を乗せることにより疑いをそらそうとするのは合理的な行動と評せるし、本件において、荒井を乗船させた経緯として、三度も断られながらも執拗に頼み込んだという事情があるし、エンジニアを確保するのにこれだけ苦労していることからすると航海ごとにエンジニアを乗せていたとは考えられないのであり、特に今回に限り第三者を確保しなければならなかったのではないかとの疑いを禁じ得ない。

放火の不自然性を払拭するために荒井を乗船させたと考えると、原告乙山が状況を飲み込めているはずのない荒井に対して、いきなり「おまえ入れよ」と怒鳴りつけたり、荒井に見えるように消火器を取りに行った行為も素直に理解できる。

確かに、「おまえ入れよ」と言って、本当に荒井が入ってしまったらどうするつもりだったのかという疑問はある。

しかし、今回の航海後数日経ち、原告乙山は荒井と本件船舶内で寝泊まりしていたこともあることからすると、ある程度原告乙山において荒井の人物像を把握できていたと考えられ、荒井が速やかに機関室に入る人物ではないと判断していたともみられるし、そうでないとしても、おまえ入れよと言われて入ってしまったとしても、その時点で放火行為に及ぶことはできなくなってしまうものの、少なくとも、エンジンが不調に思ったので入ってもらったのだと説明することで後日放火を企図していたことが露見することはなかったといえる。したがって、荒井を怒鳴りつけた行為自体リスクは必ずしも大きかったものとはいえない。むしろ、普通に声をかけるのではなく怒鳴りつけることで相手を萎縮することを狙ったとも考え得るのである。

したがって、少なくとも荒井を乗船させたことは放火否定の間接事実とはならないということはできる。

(4) 本件船舶の沈没した場所

本件船舶は、沿岸から離れた大島の外側の航路を選択しており、水深の深い徳島県海部郡宍喰町竹ヶ島南東約四キロメートル沖合で沈没している。

水深の深い場所を選ぶことで船舶を沈め全損をねらうことができるし、船舶を引き上げての後日の検証を困難にすることができる。しかも、沿岸から離れることで、消防艇の接近を不可能あるいは遅延させることができる。

逆に、沿岸から離れると救助の可能性が減り自己の生命に対する危険性が高まるのではないかという疑問もありうる。

しかし、天候は晴れで、波はべた凪の状態であり、火災当日は金曜日であり原告らにおいて漁船がいるであろうことは認識できているし(漁船のほうからは本件船舶が目撃されている(乙第四三号証))、原告乙山は、火災発生による緊急事態の中、消火活動、退船指示の合間に約五分ごとに二度電話して救助を求め、救助の確保を図っている。

このように本件沈没場所、日時、天候などは、船舶の全損と速やかな救助可能性を両立できる絶好の場所、タイミングであったと考えられるのである。

また、証人土井三四郎は、燃料の補給を確保するためにほんのちょっとした航海でも航海計画を立てるのが普通であると証言しているところ、今回の航海では一切航海計画が立てられておらず、それにもかかわらずメカニックを敢えて乗せ、事前の会議でライフジャケットの所在について注意を与えるなどの慎重さをみせていたことと対比して考えれば、事前に航海計画を詰めずにおいて、的確に沈没せしめる場所を選ぶことを意図していたのではないかという疑問も生じる。

(5) 原告乙山の火災の目撃供述の不自然性や変遷

前述のとおり、原告乙山の供述の不自然性として、①原告乙山が発見した火災が生じうるのか疑問があること、②タラップで機関室に降りることは不可能であったと考えられること、③デッキに煙等が出ておらず、火災の発生に疑問がもたれること、④原告乙山が、火災が見えなくなったと思ったにもかかわらず「もうだめです」と報告したことなどが指摘できるし、原告乙山の供述の変遷としても、前記のとおり、①発見した火災の態様、②火災が鎮火したか否か、③ハッチを再度開けた際の状況について供述が変遷しており、いかに、火災を発見した緊急状態で、精神的動揺下における観察記憶である点を考慮しても、火が鎮火したか否かによって、その後の行為の経緯がまったく異なってくるのであるから、単なる記憶違い等によって、そのような供述部分が変遷するとは考え難く、原告乙山の供述の変遷の仕方も不自然である。

(6) 甲野会長の行動および供述の疑問点

甲野会長は、例年飛行機で目的地へ向かって現地で合流するというスタイルで研修を行っていたが、今回初めて自らも乗船して出航した。そして、研修に行く人選は全て自ら行い、出発前の会議でもライフジャケットや消火器の設置場所等の説明やその準備などの注意を与えていた。出航後はフライングブリッジで原告乙山らと交代で操船していた。火災当日の状況としては、原告乙山がデッキに降り消火器を持っていたことなどを目撃し、甲野会長自らデッキに降りると原告乙山がハッチから出てきており、「もう駄目です」と言ったので退船を決意した。そして、ライフジャケット等を出すように指示するとともに、荒井には、「メカ、消火器をもってこい」と消火器を探すよう指示した。そして、ライフラフトを準備し、それに乗込んで退船した。

右の経緯について甲野会長は次のような供述をしている。

第一に、出航前の会議でライフジャケットの所在などについて注意していることについては、そのようなことはないとしている。

しかし、この点は原告乙山の供述と矛盾するところであり、事前に注意したことをことさらに否定しなければならない理由はなく、敢えて否定しているところにまず疑問がある。

第二に、退船を決意したことについて、甲野会長は、原告乙山が「もう駄目です、火の海です」といい、吸気口から白い煙が出ていたので退船を決意したと供述している。

この点まず、原告乙山は、消火器を噴霧した際、一旦火が消えたと思っていたはずであるし、仮に強い熱を感じていたとしても、火の状況を確認することなく、その直後に「火の海です」というような発言をしたのか疑わしい。また、白い煙が見えたという証言も証人尋問の際初めて出てきたもので、それより前の乙第四一号証の面接聴取の際には、煙が充満しているぐらいだったら脱出しないよ、船が大事だからと供述し、原告乙山が脱出しろと言ったから脱出したという趣旨の供述をしており、供述の変遷があり信用性に問題がある。さらに、従前には、消火器で本件船舶の火災を消火できたという経験があるにもかかわらず、退船を決意をするのがあっさりしすぎているという感を否めない。

むしろ、本件船舶の実質的オーナーとして自ら火の状況を確認してもおかしくないと思われるのにそのような行為をしていない。この点について、ハッチを開ければ空気が入って危ないだろうと証言している。確かにもっともな理由ではあるが、同時に甲野会長はダンパーというものの存在を知らないと証言し、ハッチが開いていたのか否か知らないと強く証言するなどしており、乙山から火の海ですと聞いた時点で果たしてここまで合理的な判断をしていたのか疑問がある。

第三に、退船を決意し、自ら安全を考えて炎の確認をしなかったと供述している。しかし、退船を決意したという時点より後に、荒井に対しては「メカ、消火器もってこい」と怒鳴るなどしており不自然である。消火をあきらめて退船したというのであるから、速やかに退船の指揮を執るはずであるのに、なぜ今更消火器を取りに行かせるのか納得しがたい。

このような疑問点から考えると、あえて今回に限って自ら乗船し、事前にライフジャケットなどについて注意を与えるなどしていることも危険を事前に察知していた上での行動ではないのかという疑いが出てくる。そして、本件船舶から速やかに退船ができたのも、乗船員に強い指導力、影響力を持った甲野会長が事前に危険を予測し、それに対処する準備ができていたからなのではないかとも思われてくる。

そして、本件船舶の構造は、機関室の上にデッキがあり、デッキより前方に操舵室、さらに前方にキャビンがあり、デッキと操舵室は乙第三号証六七頁の写真のとおり一人の人間が通れる程度の出入口しかないのであるが、甲野会長が操舵室とデッキの間あたりで「メカ、消火器もってこい」と怒鳴ることで、荒井は、操舵室やキャビンの方に追いやられるのでハッチに近づくことができず、何者かがハッチから機関室内に入って放火行為をしても、これを目撃することができなくなっていたと考え得る。

以上の諸点からすると、甲野会長も本件放火に関与していたのではないかという疑問がある。

(二) 放火否定方向の間接事実

(1) 動機が存しないこと

確かに、原告乙山には特に動機が見あたらず、甲野会長にとっても、本件船舶は、平成六年秋、平成七年六月にもIHIにおいて多額の費用をかけて整備がなされていること、本件保険金額は、建造費二億円及び過去の整備費用に照らして高額なものではないことからすると、敢えて危険を冒してまで放火するほどの動機があったのか疑問がある。

しかし、甲野会長と原告乙山に共謀があったとすると、本件船舶はたびたびの修理にも関わらず、煙を出したりして莫大な修繕費を費やさざるを得なかったものであって、甲野会長が、そのことに不満を覚えたとみられなくもなく、また甲野会長のいわば好みでした注文のとおり造られた船であって、主観的な価値はともかく、市場性に乏しいことから期待通りの額で売却できた可能性も高くはなかったのであり(乙第四四、四五号証)、船舶買換えのための換金手段として行ったという見方もできないわけではない。

そして、乙第四一号証における原告乙山と甲野会長とのやりとりや、証人甲野太郎の証言における甲野会長の原告乙山に対する発言内容からすると、甲野会長が原告乙山に強力な影響力を持っていたものと認められ、甲野会長と原告乙山が通謀できるだけの関係にあったと評することもできる。

(2) 原告乙山が着火行為をなし得るのかという疑問

確かに、乙山が放火したことを具体的に確定するに足りる証拠はない。

しかし、原告会社、甲野会長に関してまったく利害関係がないのは荒井だけであるところ、荒井も絶えず原告乙山を見張っていたわけではなく、消火器を探しに行ったり、退船準備を手伝ったりと、相当な時間ハッチ及び原告乙山から離れていた時間があり、その間に原告乙山の関与の下、着火行為がなされたとみることは可能である。

(三) 検討

確かに、原告乙山がとった具体的な関与行為を確定できてはいない。

しかし、原告乙山の供述に、明らかに虚偽と認められる部分が存することに加え、退船経緯が異常なほどスムーズであること、原告乙山の行動に納得しがたい部分があること、原告乙山の供述は緊急状況下の行動である点を考慮に入れても不合理な内容や不合理な変遷があることを否定できないこと、原告乙山が敢えて不合理な供述を行う動機が放火行為隠蔽の目的以外にあるとは考えにくいこと、甲野会長の行動・供述にも疑問点があること、甲野会長と原告乙山は通謀するだけの関係にあると認められること、放火を前提として考えると荒井が存在したことや、沈没場所の設定について理解しやすい面があること、さらに、科学的観点からの実験により本件態様による自然的出火の可能性は考えにくいという結果が出ていることなどを考慮すれば、人為的な火災発生があったものと考えざるを得ず、火災発生後機関室に入っているのは原告乙山だけであり、極めて短期間の間に原告乙山の目を盗んで人為的に放火行為をなしえた人物は本件状況ではあり得ないから、やはり本件火災は原告乙山の関与による放火であったと判断せざるを得ない。

9  したがって、本件火災は原告乙山が故意に関与したものと認められるから、原告会社の請求は理由がない。

第二  原告乙山の請求について

一  請求原因1の事実については当裁判所に顕著である。

被告は、原告乙山は、既に放火を疑われており、本件陳述によっても何ら社会的評価は低下しないと主張するが、公開の法廷において主張されたものであるから、原告会社関係者の間で疑われていたことをもって社会的評価の低下を否定することはできない。

したがって、客観的に名誉毀損に相当する行為が存在することは否定できない。

二  しかしながら、右の主張は、弁論主義・当事者主義の支配する民事訴訟手続においてなされたものであり、その点を考慮する必要がある。

民事訴訟手続において、当事者は十分な主張立証を尽くす権能、機会が保障されるのであり、口頭弁論における陳述については、当該事件と関連性のない主張や、主張の内容、方法、態様が著しく適切さを欠く等、それが著しく不相当な程度に至らない限り、たとえ他人の名誉を毀損することがあっても不法行為を構成しないというべきである。

そして、著しく不相当であるか否かは、名誉毀損の程度と、主張内容及び根拠の相当性、主張態様により総合的に判断すべきである。

三  本件陳述は、原告乙山が積極的にか消極的にかは別として故意に関与していたと主張するものであるところ、モラルリスク事案を含む不当な保険金請求を拒むことにより、健全な保険制度を維持しようとして、保険金請求者ないしその関係者による放火である等の主張がなされることは、それが、まったく根拠もなく、また主張の態様も過度に執拗であるなどの事情がない限り、十分評価されなければならない。

本件の場合は、前記当裁判所認定のとおり、被告の主張に相当な根拠が存在していると認められる。

右事情を総合すれば、本件の被告の主張が著しく不相当であるとは到底認められない。

したがって、被告の当該主張は、訴訟における正当行為として許される範囲内のものである。

四  以上のとおり、原告乙山の請求は理由がない。

第三  結論

よって、原告らの請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。

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